ヒヤシンスのある風景

歯ブラシだけを持って、色々な街を見て歩きたい
春が来た
sakura_harugakita

昼前に客先に向かうためビルを出た。
 
辺りは明るくいい天気。
見上げると桜の木が1本。
三分咲といったところだろうか。
時間もあるし、なんだか散歩気分で歩き出した。


山手線沿いの真っ直ぐな一本道を歩いて行く。
遠くにはきれいな青空が見え、
くっきりと白い弾力の有りそうな雲が浮かんでいる。


昨日の強烈な春の嵐が去った後、
台風一過の空なんだろう。


線路沿いに連なる桜の木などを眺めながら歩いた。
日当たりのいい場所にそれはあるのに、
まだ桜の花は目立たない。
しかしその奥には桃の花だろうか、
桜よりは濃い桃色の花を
今は盛りにと満開に咲いている。


気持ちがいい。
春の陽気だ。


うきうきと、
幸せさえ感じる気分だ。


両手に持ってる荷物さえ、
心なしか軽く感じる。


ふと脇道から出てきたOLらしき女性4人が
全員大きなマスクをつけていた。
私も随分と長い間花粉症には悩まされてきたが、
最近は薬もマスクもしていない。
ときどき鼻水がたらっと垂れたりはするが。


先日、
エレベーターに乗り込もうとしたら、
先に乗っていたスーツを着た、
男女3人の会社員らしき人々が、
みな大きなマスクをつけていた。
なんだかぎょっとしたことを覚えている。


外国人は日本人のマスク姿に驚くというが、
確かに多くの人々がマスクをつけている光景は
世紀末的な気もする。


そんなことを思いながら、
また線路を行き交う電車など眺めつつ歩いた。


高架線が多いな、と思った。
黒々とした電線が何本も張り巡らされている。


そう思うと、
自分が今歩いている道沿いにも、
電信柱が等間隔に立ち、
その上を太い電線が走っている。
 

線路沿いにはフェンス。
 



もし今、巨大地震が起こったら、
自分はどこに逃げたらいいのだろうと思った。


右に行っても電信柱があり、
その隣にはビル建設中のトタン塀が迫っている。


左手には何本もの高架線に、
しきりに何本も走り抜ける電車。

そしてフェンス。



突如、
電信柱が大きく揺れ、
電線が切れてバランと垂れ下がる。

線路の高架線同士がバチバチとぶつかり合って火花を散らし、
アスファルトの地面はぐにゃりと歪み、
フェンスが倒れかかってくる。
 


どこにも逃げ場がない。
 
 




そんなことを考えているうちに客先のビルも近くなってきた。
 

太い幹線道路の歩道橋に立ち止まり、
信号が変わるのを待つ。


あたりを見ると
高いビルが立ち並び、
おまけに頭の上には首都高まで走っている。
そして左手には高架。
 



客先からの帰り道。
 

気持ちのいい、
一年のうちでもそうそうないであろう
春の喜びを感じる、幸せな1日。


しかし白日夢の余韻のせいか
私はなんだかぼんやりとしてしまった。


そんな私の脇を、
自転車に乗ったおまわりさんが通り過ぎた。
 

おまわりさんの後ろ姿。


自転車の荷台には、
何が入っているのだろう白いカンカンみたいな箱。


背中には白く抜かれた“警察庁”の文字。
 

おまわりさんもなんだか気持ちよさそうに、
のんびりと自転車を漕いでいるように見える。
 
 
 


ありがたくも幸せな春の一日。
 
 



JUGEMテーマ:日々徒然
 
| 風信子 | - | 23:56 | comments(2) | - |
一寸先は闇、そして光と

今日仕事の帰りに電車に載っていると、


“明日、東北大震災の起きた時刻に黙祷を行います”と
車内アナウンスがあった。


あれからもう1年たったのだ。


地震で亡くなった方々のご冥福と、
そのことにより、
心に傷を負われた方々に、
心から・・・

| 風信子 | - | 23:49 | comments(0) | - |
それが貴方の親だったら




今日、立川市で90歳の母親と60歳の娘が
孤独死していたというニュースを見た。

 

立川市役所には
“最近二人の姿をみることもなく、自治会費も滞納されている”
という報告があった。

 

にもかかわらず、
立川市役所の関係者が、その二人のお宅を尋ねたところ、
中から応答もなく、異臭もしなかったので、
そのまま何もせず帰ったとのこと。

 


北海道でも
老夫婦の孤独死があり、
妻が病死し、認知症の夫も凍死したと思われると
ニュースでは伝えていた。

 

 

私の両親は二人共、現在80歳である。

 


先日私が実家に帰った日、
いつもは両親の寝室のある1階の客間で寝ていたのだが
何故か私はその日、
2階の元の自室で寝ていた。

 

早朝5時過ぎ、
トイレに行きたくなって目が覚め、
1階のトイレまで階段を降りていった。

 

階段を降りていくと、
父が何か話しかけている声がする。

 

たまたま両親の寝室のドアが開いていたので覗くと、
父がベットから起き上がって
隣のベッドの母に話しかけていた。

 

ふと母を見ると、
母は眠っていた。

 

父に“どうしたの?”と話しかけ、
ふと父の手を取ったときに
ポタッと何かが私の手に落ちた。

 

泣いているのか?と思い、
父を見上げたが泣いているのではなかった。

 

それは父の鼻水だった。

 

父の手はとても冷たく、
よく見ると父の身体はガタガタと震えていた。

 

“寒いの?”と聞くと“寒い”という。

 

すぐ隣の部屋に行けば、
エアコンはあるし、ストーブもある、
ましてや炬燵だってある。

 

しかし、認知症を患った父には、
いくら寒くても、
スイッチを点ければ暖かくなる、
ストーブに火を入れれば暖かくなるということが
理解できないのだ。

 

しかも父はおむつをしていたが、
粗相をしてしまったらしい。

 

そんな状態で
いくら寒いからといって
ベッドの中に入って暖をとろうとも思えなかったのだろう。

 

私は
とにかくエアコンのスイッチをいれ、
炬燵をつけ、
ストーブの火をつけた。

 

今までは抵抗があった、
(それは父にとっても抵抗があっただろう)
父のズボンを脱がせ、
おむつを取り、
新しいパンツを履かせた。
おむつを履かせる余裕もなかった。

 


父はそこら辺にあったシャツを1枚着ていたが、
私も父の衣類が今何処にしまわれているのかもわからないので、
目についた上着を着せた。

 

幸運にも
おむつ以外は濡れていなかったので、
下はパジャマのズボンを履かせ、
とにかく炬燵の中に入らせた。

 


そしてお湯を沸かして熱いお茶を飲ませ、
ビスケットだかお菓子を食べさせた。

 


私がもっと度々実家に帰らないのがいけないのはわかっている。

 


父の認知症は夜の方が症状が現れやすく、
約3時間おきに、父は眠りから覚め、トイレに行く。

 

母はそれに付き添って起き、
おしっこを失敗しないように
便器に座るまで誘導し、
時に失敗すれば、
その後処理をし、
などということを毎日毎晩しているのだ。

 


朝の5時過ぎに父が母に話しかけていたとしても、
それに気がついて目が覚めなかったとしても、
そんな疲れた母を責めることなど私には出来ない。

 


だが、
北海道で孤独死を、
というか、この言い方も嫌なのだが、
全くもってこの言い方が真実を表しているのだから仕方が無い。

 

孤独死をされたご夫婦が、
奥様が病死され、
残された認知症を患われたご主人が
北海道という寒い土地で、
私の父のように鼻水を垂らしながら、
すぐそこに、
スイッチさえ入れれば暖かくなる暖房器具があっても、
それがわからずに、
寒い寒いとブルブルと震えて凍死されたのかと思うと、
本当にやりきれない。

 

 

だから今日の立川市役所の
90歳と60歳の親子の家を訪ねていった市役所の人間に対して思う。

 


“異臭もしなかったから”ってなんだよ!
それって死んでるってことが前提じゃないか。

 

近所の人の“二人の姿を最近まったく見ない、
自治会費も滞納してる”っていう情報まであるのに、
鍵をこじ開けてでも、
中に入るべきじゃないのか!!

 

そうしなければ助けられる人も、
助けられないじゃないか。

 

立川市役所だけの問題ではないと思うが、
その人達が訪ねていったときに、
布団から起き上がろうとしていたとか、
起き上がれなくて、助けの声を発していたのか、
それとも、それさえ分からずに、
ただただ、ドアフォンのチャイムの音を聴いていたのか。

 


そう思うとたまらない。

 

孤独死だって、認知症だって、
誰の身の上にも平等に起きうることなのだ。

 


あなたの親がそうだったら?
もっと想像力を働かせて欲しい。

 

それとも現在の日本は
皆、年老いた両親と同居できていて、
両親の面倒を皆出来ている国なんだろうか?


JUGEMテーマ:日々徒然
| 風信子 | - | 20:09 | comments(0) | - |
プレゼント


ついこの前からツイッターを始めた。

 
何故今更、
そんなことを始めたのかというと、
私はmixiも入ってないしfacebookもしていない。
それは私を知っている人を前提に
日記を書いたり、自分をさらしたくはないからだ。


 
でもツイッターなら
そんなことをしなくても、
他の世界をのぞけたり、
必要な情報を得たりもできるかな、
と思って始めた。


 

そうしたら今日
村上春樹がツイッターをしているのをみつけた。
これはツイッターを初めて一番のめっけもんかもしれない。


 

私は村上春樹が好きだ。

 

好きだなあと思うところは色々あるが、
うまくは説明しきれない。

 
ただどの作品を読んでも、
感じることがある。


 
それは「きちんとしなくちゃ」という感じ。
 

シャツにはいつもアイロンがかけられ、
部屋はいつも綺麗に掃除され、
キッチンのシンクもいつもピカピカに磨き上げられており、
そしてもちろん
サンドイッチの角はいつも鋭角に切られている。


 
その「きちんとしなくちゃ」という感じが、
脅迫観念ではなく、
なんだか気持ちがいいのだ。


 

これからはツイッターが
毎日一通は
楽しい手紙を私のポストに入れてくれるだろう(多分)






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| 風信子 | - | 12:20 | comments(0) | - |
父のこと

父の笑顔

今、東京では雪が降っている。
実家の方でも雪が降っているだろう。
お父さんは雪を見て、
何かを感じているのだろうか。

 


父が認知症になって、
いわゆる人が歳をとってボケるということが、
痴呆になる、ということではなく、
それは病気であるということが分かった。

 

父の場合は“レビー小体型認知症”という病気だ。

 

“レビー小体型認知症”とは
脳の大脳皮質の神経細胞内に
“レビー小体”という特殊な変化が現れるという病である。

 


例えば“若年性認知症”というのは病気として認知されているのに、
高齢者が認知症といっても、
それはある意味自然なこと、
痴呆・ボケるという風に思われてしまう。



歳を取ると脳細胞が死んでくるというような
そんなイメージがあるからだろうか。

 


父が認知症を患ってからのち、
人間の人格とか心とか性格とか、
その人の成り立ちというのは何なのだろうと思う。



つまり、以前の“お父さん”は何処に行ってしまったのだろうか。

 


昔、父と私は“お前は何様のつもりだ”などと父にいわせるような、
つかみ合いの喧嘩をしたこともあった。
多分、父は私に憎しみさえも感じていただろう。

 


父が感じていた私に対する徒労感。

 


しかし今の父は昔の父とは全くの別人のようである。
記憶障害があるから今までの出来事を忘れてしまっているようでもあり、
だが、私が自分の娘であるということは理解している。

 


今の父は、私と会話するとき
何の先入観も、心の構えもなく、ただ素直に話をする。
ただそのとき、
父は私に心を通わせ、何かを感じているのかはわからない。

 


そして今の父は、
昔なら全く想像もつかないような、
素直な満面の笑みを浮かべて笑うことがあるのだ。
顔をくちゃくちゃにして、
歯をむき出しにして、無邪気に笑っている。

 


私はその笑顔を初めて見た時、
本当に驚いた。

 


父が認知症になる前、
私は一度たりとも父のそんな笑顔を見たことがないからだ。

 


私はその笑顔を見ると嬉しくてたまらなくなる。
その笑顔は認知症が招いたものであるのに。

 

それでもあの笑顔を見せてくれないだろうかと
いつも会うたびに思ってしまうのだ。

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| 風信子 | - | 23:49 | comments(0) | - |
2012年正月のあれこれ

2011年12月28日、東京を発った。

そして同居人の実家に帰った。

今までお正月を同居人の実家で過ごしたことはない。
本心からかどうなのか、
同居人のお義母さんは、
“そんなお金があるならそのお金を送ってくれんね”という人だ。
 

しかし、今年はお義母さんの傘寿のお祝い、八十歳である。
お義母さんの誕生日にお祝いがてら帰省しようと思っていたが、
お義母さんが大切に育てているポンカンが
ちょうど正月頃に収穫時期にあたるので、
その手伝いがてら来るならこい、ということであった。
 

同居人の実家に帰省した夕方、
お義母さんのいる台所のテレビから
地元の歌を特集した番組の歌声が聴こえてきた。
お義母さんは耳が少し遠くなり、
テレビの音も大きい。
 

聞こえてきたのは、
“帰らんちゃよか”という歌である。
その歌詞を聴いていたら胸がしめつけられるような気がした。
 

  そらぁときどきゃ俺たちも
  淋しか夜ば過ごすこつも、あるばってん
  二人きりの暮らしも長ごうなって
  これがあたりまえのごつ思うよ
  どこかの誰かれが結婚したとか
  かわいか孫のできたて、聞くとも、もうなれた
  ぜいたくば、言うたら、きりんなか
  元気でおるだけ幸せと思わんなら
  それでどうかいうまく、いきよっとかい
  自分のやりたかことば、少しは、しよっとかい
  心配せんでよか心配せんでよか
  けっこう二人でけんかば、しながら
  暮しとるけん
  帰らんちゃよか帰らんちゃよか
  母さんもおまえのことは、わかっとるけん


  そらぁ、ときどきゃ、帰ってきたり
  ちょこちょこ電話ば、かけて、くるっとは
  うれしかよ
  それにしたって近頃やさしゅなったね
  何か弱気に、なっとっとじゃ、なかつかい
  田舎があるけん、だめなら戻るけん
  逃げ道に、しとるだけなら悲しかよ
  親のためとか年のせいとか
  そぎゃんことば、言訳にすんなよ
  それでどうかい都会は楽しかかい
  今ごろ後悔しとっとじゃ、なかっかい
  心配せんでよか心配せんでよか
  父ちゃんたちゃ、二人でなんとか暮してゆけるけん
  帰らんちゃよか帰らんちゃよか

  今度みかんば、いっぱい送るけん
  心配せんでよか心配せんでよか
  親のために、お前の生き方かえんでよか
  どうせおれたちゃ先に行くとやけん
  お前は思ったとおりに生きたらよか


 
 
お義母さんは独り暮らし。
ポンカンの実を一人で収穫するには
もう充分に歳を取り過ぎたのだろう。
 

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| 風信子 | - | 23:53 | comments(9) | - |
恐るべき子供たち
NHKの
東北大震災「震災遺児 1500人」を見た。


私は反射的にお母ちゃんが死んだ頃のことを思い出す。

私はそのとき、子供だった。
本当にぼんやりとした子供だった。
多分、何も考えずにすむ幸せな環境で育ったのだ。


お母ちゃんが発病したのは多分8才後半の頃。
お母ちゃんが亡くなったのは9才後半の頃だったと思う。


今日、この番組を見て、
私と同い年の10才ぐらいの子が
母親を亡くし、
その子が発する言葉を聞いて愕然とした。


なんて物事を状況を把握している子供なのだろうと。
本当のところはわからないが、
この子も母親や弟を亡くして、
一足飛びにまわりを認識せざるを得ない状況にあるのだろうかと思った。

それとも本当は
もしかしたら普通の10才の子供は
このぐらいの物事を考えるているのかもしれない。
 


私はまだお母ちゃんが生きている時に
父に連れられて、東京の病院に行ったことがあった。
なんだか照れくさいというのか、恥ずかしくて、
面会室でお母ちゃんとまともに話しも出来なかった。


お母ちゃんはそんな私を怒りも責めもせず、
病室に連れて行ってくれた。


向かいのベッドのお姉さんが、
優しく接してくれたのを覚えている。
さぞお母ちゃんと仲良くしてくれたのだろう。
私に接する態度でそんな感じがしたのを覚えている。


子供は、大人が思うよりも
周りの気配を察している。


番組の中で、
10才くらいの男の子が、
その子は1才の弟を亡くしているのだが、
被災者を励ます催しにお父さんと出かけて、
その子がお父さんと並んで何かを食べている最中に、
お父さんの隣にいた1才くらいの子供が泣き出した。
お父さんは露骨に今までの楽しい雰囲気とは違った、
つらそうな表情をしていた。



その男の子は口には出さないにせよ、
その1才くらいの子供が泣いているのを見ていた。
黙って、横目で見ていた。


そう、子供だって分かるのだ。
子供だって、亡くなった弟のことを思い出すのだ。
お父さんと同じように。


お父さんは気が付かなかったけれど。
10才くらいの男の子だって、
お父さんに気づかれないように、
亡くなった弟のことを思い出し、
今、生きているその子供を見ているのだ。
 



私は多分、生まれて初めて人を憎いと思った時のことを
今でも覚えている。


お母ちゃんが亡くなって、
忌引きが終わって学校に行った時に、
うちの近所に住む男の子が、
「お前のお母ちゃん、死んだんだってな」と言った時である。


今でもその子の顔を覚えている。
そう言った時の教室の雰囲気までなんとなく覚えている。


多分私はそのとき初めて人を憎いと思ったと思う。


私はお母ちゃんが死ぬまでの間、
薄い繭の中にいて、
何も考えずに生きていたのだ。


お母ちゃんが死んで、その膜は破れた。
私は外の世界に放り出されて、
初めて私を守るものが何もない世界に放り出されたのだ。


何か事情があって、
子供がひとりぽっちでいる時。
親は何も言わずに
その周りにいる大人でもいい、
ただ、その子供を抱きしめて欲しい。
ぎゅうっと、子供が痛がるまで。


子供は誰に言われなくても、
自分を愛してくれる親のために
頑張ろうとするのだ。
自然に。

 

それが多分、悲劇のはじまりであったとしても。


JUGEMテーマ:日々徒然
 
| 風信子 | - | 23:11 | comments(4) | - |
2011の花火


昨日、神宮花火大会に行った。
花火を見るのにお金を払ったのは初めてだ。

しかし、
隅田川の花火大会の日は叔父の一周忌の法要ということもあり、
今年は花火大会自粛の風潮もあって、
昨日しか花火大会に出かける日がなかった。


今年の夏、たった一度しか花火を観ることが出来ないのだからと
神宮外苑の指定席で観ようと思ったのだが、
時、すでに遅く、秩父宮ラグビー場の席しかとれなかった。

花火大会というものは、
老いも若きも富める者も貧しいものも、
見方の違いはあれ、粋の極み、
一つの美しいものを皆が一様に観れるものだとおもっていたが、
お金を払って観る花火というものはいかなるものか。




ラグビー場のスタンドの一番上から2番目の席で観た花火は、
とても美しかったが、
なんだか手をのばせば
握りつぶせるような錯覚も起こすような、
毎年見る花火よりもちゃちなものに見えた。




昔観た楽しかった、隅田川の花火を思い出した。


今よりももっと貧しかったが、
会場の最寄駅で待ち合わせをして、
少し贅沢をして
デパートの地下街でちょっとしたものを買い、
打ち上げ地点へ向かって
どんどん歩いていった。


同じように会場へと向かう人々と一緒に歩きながら、
心はどんどん焦りはじめ、
少しいらいらし始めた時に1発目の花火が上がる。


するとイライラしていた気持ちが嘘のように消え、
小学生のように花火に向かって
走り出したい気持ちになるのだ。


昔から何事も時間ぎりぎりの私は
打ち上げ地点に近づいた頃にはもう沢山の人が
アスファルトの上に陣取り花火を見上げている。


私たちは歩きながら花火を観て、
それでももっと近いところへと歩いていく。


橋を渡れば花火は近くに見えるのだが、
人混みが苦手な私は、
そこへは行けない。





ふと、トタン板ではないが、
鉄の板の隙間から
小さなビルをさら地にしたところが見えた。


彼氏がそこへ入っていくと、
「ここ、すごいよ!」と叫ぶ。
私も板の隙間から中へ入り込むと
打ち上げ場の近くなのに誰もおらず、
二人で座って見上げると花火が大きく大きく見えた。





花火を打ち上げる毎に地鳴りのような音がして、
首が痛くなるほど真上に花火が大きく開いた。
火薬のはぜる音が聞こえて、
視界の中には花火しか見えなかった。


ああ、このまま死んでもいいとさえ思った。
(満開の桜を見てもよくそう思うたちなのだ、私は)
 



花火が終わり、
高揚した気持ちで二人手をつないで、
他の人たちと一緒にぶらぶらと長いこと歩いた。


お蕎麦やさんを見つけ、
ビールとお蕎麦を食べた。


店を出てもまだ帰途に向かう人たちが歩いている。
私たちもまたぶらぶらと歩き出す。


ふと銭湯をみつけると、
彼氏が、入っていこうよ、と言う。


何の持ち合わせもないので、
石鹸とタオルを買って銭湯に入った。


汗ばんだ肌を洗い流し、
広い湯船につかって気持ちが良かった。




銭湯を出る頃には、
もうそこで花火が行われていたのが嘘のように、
人通りも車も少なくなっている。



電車に乗る頃は
もう終電近く。


電車の中で座席に座り揺られていると
花火を満喫した気分で
幸せだった。
 
 


昨日、帰りのタクシーの中で
そんなことを思い出していた。
そんな神宮花火大会だった。



JUGEMテーマ:日々徒然
| 風信子 | - | 23:44 | comments(4) | - |
父は何処に

私は一生あの日のことを忘れられないだろう。

 

母の日と父の日を一緒にお祝いしようと
落語を観て、その後中華街で食事をしてと約束して、
待ち合わせた駅の改札口の
向こう側で私と同居人をまっていた、
あの父と母のたたずむ姿を。


雨の日だった。


お父さんは、
少しくたびれたシャツに、
よれよれのチノパンツ。
そして無精ひげが生えていた。


お母さんは
そんなお父さんを支えるようにして、
それでも私たちの姿を認めると
笑顔になった。

 


父は、
特にお洒落な人という訳ではないけれど、
着るものはいつも清潔できちんとした格好をしていた。
硬いヒゲは毎朝かみそりで剃り、
少なめの髪にもちゃんと櫛が通っていた。


真面目で几帳面で厳格な父。

 


少し痴呆症の症状が出てきたと母には聞いていた。

 


大丈夫なの?と私が訪ねると、
会えば分かるわよ、と母は言った。

 

 



 

落語を見て、中華街で食事をし、
父母と別れて家に帰った。

 

同居人はだいぶ前に
お父さん、少しボケてきているんじゃない?と言っていた。

 

私が今日の父のことを話すと、
同居人は言った。

 


だから前に君に言ったよね。
だけど君は今までそれに対して
何もしようとしてこなかったじゃないか。


 

ずっとそうだ。
私はずっと父から逃げ続けていた。
いつまでもいつまでもいつになっても。

 

そして
とうとう父はここではないどこかに行ってしまった。



以前の父と話すことは
もう出来ない。

| 風信子 | - | 02:44 | comments(4) | - |
天邪鬼



今朝、同居人から朝一番に得た情報。


なでしこジャパンが優勝したそうで、
素直に良かったね、と思う。
おめでとうございます。


しかし。
私は今、単に同じ日本人だからという理由だけで、
何かに頑張っている人を応援できなくなっている。



ことのおこりは男子サッカーのワールドカップ初出場(?)の時だと思う。
ここに(?)がつくぐらい
私はそのことを覚えていない。


そのとき国中がサッカーを応援していた。


しかし私はそのときの日本人の狂乱振りがすごく嫌だった。


例えば、
渋谷でバカ騒ぎしている大学生のにわかファンとか。


なんだか、
騒ぐことに飢えていて、
それがサッカーにとびついただけのような。



いや本当はそれでいいんだと思う。
単なるお祭り好きだっていいじゃないか。
私だって地元のお祭りがある人を
とてもうらやましいと思う。


同じ日本人が世界で頑張っているんだから、
それを応援して何が悪い。




いつから私はそういうことが出来なくなったんだろう。


朝までなでしこジャパンを応援している同居人が
少しだけうらやましく思えた。



******************

後時談


仮寝していた同居人を起こして
一緒に朝ごはんをたべながら
なでしこジャパンのTVを見ていた。


“二度駄目だと思ったよ”というから
“優勝した瞬間、泣いたでしょ?泣いたでしょ?”と聞いたら
“泣けたよー”と少し恥ずかしそうにしていた。


私も試合のVTRを見ていたら、
その一生懸命さ、必死さに、
泣けて泣けて・・・涙がとまらなくなってしまった。




小さい男の子が街でインタビューを受けて
“こんなかっこいい人になりたい”と言っていたのが
すごく嬉しかった。

JUGEMテーマ:日々徒然
| 風信子 | - | 09:18 | comments(0) | - |
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