ヒヤシンスのある風景

歯ブラシだけを持って、色々な街を見て歩きたい
父のこと

父の笑顔

今、東京では雪が降っている。
実家の方でも雪が降っているだろう。
お父さんは雪を見て、
何かを感じているのだろうか。

 


父が認知症になって、
いわゆる人が歳をとってボケるということが、
痴呆になる、ということではなく、
それは病気であるということが分かった。

 

父の場合は“レビー小体型認知症”という病気だ。

 

“レビー小体型認知症”とは
脳の大脳皮質の神経細胞内に
“レビー小体”という特殊な変化が現れるという病である。

 


例えば“若年性認知症”というのは病気として認知されているのに、
高齢者が認知症といっても、
それはある意味自然なこと、
痴呆・ボケるという風に思われてしまう。



歳を取ると脳細胞が死んでくるというような
そんなイメージがあるからだろうか。

 


父が認知症を患ってからのち、
人間の人格とか心とか性格とか、
その人の成り立ちというのは何なのだろうと思う。



つまり、以前の“お父さん”は何処に行ってしまったのだろうか。

 


昔、父と私は“お前は何様のつもりだ”などと父にいわせるような、
つかみ合いの喧嘩をしたこともあった。
多分、父は私に憎しみさえも感じていただろう。

 


父が感じていた私に対する徒労感。

 


しかし今の父は昔の父とは全くの別人のようである。
記憶障害があるから今までの出来事を忘れてしまっているようでもあり、
だが、私が自分の娘であるということは理解している。

 


今の父は、私と会話するとき
何の先入観も、心の構えもなく、ただ素直に話をする。
ただそのとき、
父は私に心を通わせ、何かを感じているのかはわからない。

 


そして今の父は、
昔なら全く想像もつかないような、
素直な満面の笑みを浮かべて笑うことがあるのだ。
顔をくちゃくちゃにして、
歯をむき出しにして、無邪気に笑っている。

 


私はその笑顔を初めて見た時、
本当に驚いた。

 


父が認知症になる前、
私は一度たりとも父のそんな笑顔を見たことがないからだ。

 


私はその笑顔を見ると嬉しくてたまらなくなる。
その笑顔は認知症が招いたものであるのに。

 

それでもあの笑顔を見せてくれないだろうかと
いつも会うたびに思ってしまうのだ。

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| 風信子 | - | 23:49 | comments(0) | - |
2012年正月のあれこれ

2011年12月28日、東京を発った。

そして同居人の実家に帰った。

今までお正月を同居人の実家で過ごしたことはない。
本心からかどうなのか、
同居人のお義母さんは、
“そんなお金があるならそのお金を送ってくれんね”という人だ。
 

しかし、今年はお義母さんの傘寿のお祝い、八十歳である。
お義母さんの誕生日にお祝いがてら帰省しようと思っていたが、
お義母さんが大切に育てているポンカンが
ちょうど正月頃に収穫時期にあたるので、
その手伝いがてら来るならこい、ということであった。
 

同居人の実家に帰省した夕方、
お義母さんのいる台所のテレビから
地元の歌を特集した番組の歌声が聴こえてきた。
お義母さんは耳が少し遠くなり、
テレビの音も大きい。
 

聞こえてきたのは、
“帰らんちゃよか”という歌である。
その歌詞を聴いていたら胸がしめつけられるような気がした。
 

  そらぁときどきゃ俺たちも
  淋しか夜ば過ごすこつも、あるばってん
  二人きりの暮らしも長ごうなって
  これがあたりまえのごつ思うよ
  どこかの誰かれが結婚したとか
  かわいか孫のできたて、聞くとも、もうなれた
  ぜいたくば、言うたら、きりんなか
  元気でおるだけ幸せと思わんなら
  それでどうかいうまく、いきよっとかい
  自分のやりたかことば、少しは、しよっとかい
  心配せんでよか心配せんでよか
  けっこう二人でけんかば、しながら
  暮しとるけん
  帰らんちゃよか帰らんちゃよか
  母さんもおまえのことは、わかっとるけん


  そらぁ、ときどきゃ、帰ってきたり
  ちょこちょこ電話ば、かけて、くるっとは
  うれしかよ
  それにしたって近頃やさしゅなったね
  何か弱気に、なっとっとじゃ、なかつかい
  田舎があるけん、だめなら戻るけん
  逃げ道に、しとるだけなら悲しかよ
  親のためとか年のせいとか
  そぎゃんことば、言訳にすんなよ
  それでどうかい都会は楽しかかい
  今ごろ後悔しとっとじゃ、なかっかい
  心配せんでよか心配せんでよか
  父ちゃんたちゃ、二人でなんとか暮してゆけるけん
  帰らんちゃよか帰らんちゃよか

  今度みかんば、いっぱい送るけん
  心配せんでよか心配せんでよか
  親のために、お前の生き方かえんでよか
  どうせおれたちゃ先に行くとやけん
  お前は思ったとおりに生きたらよか


 
 
お義母さんは独り暮らし。
ポンカンの実を一人で収穫するには
もう充分に歳を取り過ぎたのだろう。
 

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| 風信子 | - | 23:53 | comments(9) | - |
恐るべき子供たち
NHKの
東北大震災「震災遺児 1500人」を見た。


私は反射的にお母ちゃんが死んだ頃のことを思い出す。

私はそのとき、子供だった。
本当にぼんやりとした子供だった。
多分、何も考えずにすむ幸せな環境で育ったのだ。


お母ちゃんが発病したのは多分8才後半の頃。
お母ちゃんが亡くなったのは9才後半の頃だったと思う。


今日、この番組を見て、
私と同い年の10才ぐらいの子が
母親を亡くし、
その子が発する言葉を聞いて愕然とした。


なんて物事を状況を把握している子供なのだろうと。
本当のところはわからないが、
この子も母親や弟を亡くして、
一足飛びにまわりを認識せざるを得ない状況にあるのだろうかと思った。

それとも本当は
もしかしたら普通の10才の子供は
このぐらいの物事を考えるているのかもしれない。
 


私はまだお母ちゃんが生きている時に
父に連れられて、東京の病院に行ったことがあった。
なんだか照れくさいというのか、恥ずかしくて、
面会室でお母ちゃんとまともに話しも出来なかった。


お母ちゃんはそんな私を怒りも責めもせず、
病室に連れて行ってくれた。


向かいのベッドのお姉さんが、
優しく接してくれたのを覚えている。
さぞお母ちゃんと仲良くしてくれたのだろう。
私に接する態度でそんな感じがしたのを覚えている。


子供は、大人が思うよりも
周りの気配を察している。


番組の中で、
10才くらいの男の子が、
その子は1才の弟を亡くしているのだが、
被災者を励ます催しにお父さんと出かけて、
その子がお父さんと並んで何かを食べている最中に、
お父さんの隣にいた1才くらいの子供が泣き出した。
お父さんは露骨に今までの楽しい雰囲気とは違った、
つらそうな表情をしていた。



その男の子は口には出さないにせよ、
その1才くらいの子供が泣いているのを見ていた。
黙って、横目で見ていた。


そう、子供だって分かるのだ。
子供だって、亡くなった弟のことを思い出すのだ。
お父さんと同じように。


お父さんは気が付かなかったけれど。
10才くらいの男の子だって、
お父さんに気づかれないように、
亡くなった弟のことを思い出し、
今、生きているその子供を見ているのだ。
 



私は多分、生まれて初めて人を憎いと思った時のことを
今でも覚えている。


お母ちゃんが亡くなって、
忌引きが終わって学校に行った時に、
うちの近所に住む男の子が、
「お前のお母ちゃん、死んだんだってな」と言った時である。


今でもその子の顔を覚えている。
そう言った時の教室の雰囲気までなんとなく覚えている。


多分私はそのとき初めて人を憎いと思ったと思う。


私はお母ちゃんが死ぬまでの間、
薄い繭の中にいて、
何も考えずに生きていたのだ。


お母ちゃんが死んで、その膜は破れた。
私は外の世界に放り出されて、
初めて私を守るものが何もない世界に放り出されたのだ。


何か事情があって、
子供がひとりぽっちでいる時。
親は何も言わずに
その周りにいる大人でもいい、
ただ、その子供を抱きしめて欲しい。
ぎゅうっと、子供が痛がるまで。


子供は誰に言われなくても、
自分を愛してくれる親のために
頑張ろうとするのだ。
自然に。

 

それが多分、悲劇のはじまりであったとしても。


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| 風信子 | - | 23:11 | comments(4) | - |
2011の花火


昨日、神宮花火大会に行った。
花火を見るのにお金を払ったのは初めてだ。

しかし、
隅田川の花火大会の日は叔父の一周忌の法要ということもあり、
今年は花火大会自粛の風潮もあって、
昨日しか花火大会に出かける日がなかった。


今年の夏、たった一度しか花火を観ることが出来ないのだからと
神宮外苑の指定席で観ようと思ったのだが、
時、すでに遅く、秩父宮ラグビー場の席しかとれなかった。

花火大会というものは、
老いも若きも富める者も貧しいものも、
見方の違いはあれ、粋の極み、
一つの美しいものを皆が一様に観れるものだとおもっていたが、
お金を払って観る花火というものはいかなるものか。




ラグビー場のスタンドの一番上から2番目の席で観た花火は、
とても美しかったが、
なんだか手をのばせば
握りつぶせるような錯覚も起こすような、
毎年見る花火よりもちゃちなものに見えた。




昔観た楽しかった、隅田川の花火を思い出した。


今よりももっと貧しかったが、
会場の最寄駅で待ち合わせをして、
少し贅沢をして
デパートの地下街でちょっとしたものを買い、
打ち上げ地点へ向かって
どんどん歩いていった。


同じように会場へと向かう人々と一緒に歩きながら、
心はどんどん焦りはじめ、
少しいらいらし始めた時に1発目の花火が上がる。


するとイライラしていた気持ちが嘘のように消え、
小学生のように花火に向かって
走り出したい気持ちになるのだ。


昔から何事も時間ぎりぎりの私は
打ち上げ地点に近づいた頃にはもう沢山の人が
アスファルトの上に陣取り花火を見上げている。


私たちは歩きながら花火を観て、
それでももっと近いところへと歩いていく。


橋を渡れば花火は近くに見えるのだが、
人混みが苦手な私は、
そこへは行けない。





ふと、トタン板ではないが、
鉄の板の隙間から
小さなビルをさら地にしたところが見えた。


彼氏がそこへ入っていくと、
「ここ、すごいよ!」と叫ぶ。
私も板の隙間から中へ入り込むと
打ち上げ場の近くなのに誰もおらず、
二人で座って見上げると花火が大きく大きく見えた。





花火を打ち上げる毎に地鳴りのような音がして、
首が痛くなるほど真上に花火が大きく開いた。
火薬のはぜる音が聞こえて、
視界の中には花火しか見えなかった。


ああ、このまま死んでもいいとさえ思った。
(満開の桜を見てもよくそう思うたちなのだ、私は)
 



花火が終わり、
高揚した気持ちで二人手をつないで、
他の人たちと一緒にぶらぶらと長いこと歩いた。


お蕎麦やさんを見つけ、
ビールとお蕎麦を食べた。


店を出てもまだ帰途に向かう人たちが歩いている。
私たちもまたぶらぶらと歩き出す。


ふと銭湯をみつけると、
彼氏が、入っていこうよ、と言う。


何の持ち合わせもないので、
石鹸とタオルを買って銭湯に入った。


汗ばんだ肌を洗い流し、
広い湯船につかって気持ちが良かった。




銭湯を出る頃には、
もうそこで花火が行われていたのが嘘のように、
人通りも車も少なくなっている。



電車に乗る頃は
もう終電近く。


電車の中で座席に座り揺られていると
花火を満喫した気分で
幸せだった。
 
 


昨日、帰りのタクシーの中で
そんなことを思い出していた。
そんな神宮花火大会だった。



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| 風信子 | - | 23:44 | comments(4) | - |
父は何処に

私は一生あの日のことを忘れられないだろう。

 

母の日と父の日を一緒にお祝いしようと
落語を観て、その後中華街で食事をしてと約束して、
待ち合わせた駅の改札口の
向こう側で私と同居人をまっていた、
あの父と母のたたずむ姿を。


雨の日だった。


お父さんは、
少しくたびれたシャツに、
よれよれのチノパンツ。
そして無精ひげが生えていた。


お母さんは
そんなお父さんを支えるようにして、
それでも私たちの姿を認めると
笑顔になった。

 


父は、
特にお洒落な人という訳ではないけれど、
着るものはいつも清潔できちんとした格好をしていた。
硬いヒゲは毎朝かみそりで剃り、
少なめの髪にもちゃんと櫛が通っていた。


真面目で几帳面で厳格な父。

 


少し痴呆症の症状が出てきたと母には聞いていた。

 


大丈夫なの?と私が訪ねると、
会えば分かるわよ、と母は言った。

 

 



 

落語を見て、中華街で食事をし、
父母と別れて家に帰った。

 

同居人はだいぶ前に
お父さん、少しボケてきているんじゃない?と言っていた。

 

私が今日の父のことを話すと、
同居人は言った。

 


だから前に君に言ったよね。
だけど君は今までそれに対して
何もしようとしてこなかったじゃないか。


 

ずっとそうだ。
私はずっと父から逃げ続けていた。
いつまでもいつまでもいつになっても。

 

そして
とうとう父はここではないどこかに行ってしまった。



以前の父と話すことは
もう出来ない。

| 風信子 | - | 02:44 | comments(4) | - |
天邪鬼



今朝、同居人から朝一番に得た情報。


なでしこジャパンが優勝したそうで、
素直に良かったね、と思う。
おめでとうございます。


しかし。
私は今、単に同じ日本人だからという理由だけで、
何かに頑張っている人を応援できなくなっている。



ことのおこりは男子サッカーのワールドカップ初出場(?)の時だと思う。
ここに(?)がつくぐらい
私はそのことを覚えていない。


そのとき国中がサッカーを応援していた。


しかし私はそのときの日本人の狂乱振りがすごく嫌だった。


例えば、
渋谷でバカ騒ぎしている大学生のにわかファンとか。


なんだか、
騒ぐことに飢えていて、
それがサッカーにとびついただけのような。



いや本当はそれでいいんだと思う。
単なるお祭り好きだっていいじゃないか。
私だって地元のお祭りがある人を
とてもうらやましいと思う。


同じ日本人が世界で頑張っているんだから、
それを応援して何が悪い。




いつから私はそういうことが出来なくなったんだろう。


朝までなでしこジャパンを応援している同居人が
少しだけうらやましく思えた。



******************

後時談


仮寝していた同居人を起こして
一緒に朝ごはんをたべながら
なでしこジャパンのTVを見ていた。


“二度駄目だと思ったよ”というから
“優勝した瞬間、泣いたでしょ?泣いたでしょ?”と聞いたら
“泣けたよー”と少し恥ずかしそうにしていた。


私も試合のVTRを見ていたら、
その一生懸命さ、必死さに、
泣けて泣けて・・・涙がとまらなくなってしまった。




小さい男の子が街でインタビューを受けて
“こんなかっこいい人になりたい”と言っていたのが
すごく嬉しかった。

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| 風信子 | - | 09:18 | comments(0) | - |
ああ夫婦
0625

夜。
今年初めてお寿司屋さんに同居人と出かけた。


同居人は席に着くなり、
“マグロを刺し盛りで”と板前さんに頼んだ。


“なんでそんな大人みたいな頼みかた出来るの?”
私はいつも不思議だ。


“大人だから”
同居人は答える。


確かに大人なのだが、
私は今まで生きてきた中で、
お寿司屋さんでそういう頼み方が出来る大人にはならなかった。
同居人より3年長く生きているはずなのだが。

 
マグロ豊漁のニュースを見て以来、
同居人は今、マグロブームの中にいる。


“マグロ、分かる”という
佐分利信の台詞が飛び交う今日この頃なのだ。

(NHKドラマ『阿修羅のごとく』向田邦子原作参照のこと)


 
まずはビールで乾杯して
マグロの刺身を同居人と堪能していると
なんとなくイラッとするうるさい男の声がする。
携帯電話で喋っている男の声だ。


その男は私の二つ隣の席に座っている。
私の隣に座る女性が奥さんのようだ。


“衣装合わせしたいからさ”とのたまっている。
芸能人か何かかと思って見てみると
失礼ながら貧相なねずみのようなお顔をしていらっしゃる。


広島県出身で何か冠婚葬祭があるらしい。
“喪服もってる、お前”と奥さんに尋ねている。


 
同居人が
“寿司屋のカウンターで携帯で話すなよ”と言う。
私もその通りだとは思ってはいるが、
“急にお葬式なのかもしれないし”といなした。


出来ればいらいらしながら食事はしたくない。


しかしその男、
携帯電話で喋り終わったにもかかわらず
板前さんに注文するにしても、
奥さんと話すにしても
いちいち話す声が大きく、
しかもその内容がなんだか癇に障るのだ。

 
しかし慣れるとは恐ろしいもので
いつのまにか男の声にも飽きてしまったのか
同居人と海の幸を美味しく頂いていた。


 
ふと気が付くと男が静かになっている。
まさか飲みすぎ食べすぎで気分でも悪くなったか?


途端にトイレに席を立った。
 


板前さんが奥さんに声をかけた。
“すいませんね、落ち着かなくて”
(周りを落ち着かなくさせているのは、その旦那なのだが)
 

すると奥さんが言った。


“すみませんね、あの人性格悪いから”と言った。
 


なんだか私は感動してしまった。


たしかに貴女の旦那さんは
お世辞にもいい性格だとは思えない。


だけど
“あの人性格悪いから”と
大勢の人前で他人に言えるということに。
何か私は打たれてしまった。

 


男がトイレから戻り
二人は帰っていった。
 

二人の後姿を見送りながら、
いろいろな夫婦があるんだなと思った。


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| 風信子 | - | 23:16 | comments(0) | - |
出会いの奇跡

6_17

本当はピンキーリングが欲しいと思って、
以前いいのがあったお店に行った。


お店に近づいていくと
ショーウィンドウ越しに、
・・・ん、ん?ん!!
なんだか私の大好きな感じのものがいっぱいあるような!?


近づいてみると
カラフルな色合いのビーズやオブジェやパーツを
つなげたアクセサリーが沢山展示されてるではないか!!


なんかいいのだ、なんか!


なにがいいのかというと、
なんとなく“おもちゃ”っぽい感じが香るのだ。


すると男性店員さんが
「こちらの作品はアンティークのバイヤーだった方が作ったものなんですよ」とのこと。


その作家さんは
アンティークのバイヤーをしていた経験をもとに
今はもう生産されていないような
アンティークのパーツやビーズなどを使って、
アクセサリーなどを作っているとのこと。


そしてファイリングしてある
作家さんのアトリエ風景やら作品やらの
写真を見せてくれた。


「もうこのファイルが欲しい!」と言いながら
男性店員さんと一緒にファイルを見ていると、
なんだか私が見たことのある雑誌の切り抜きがある。

 


「あれ?この写真、私も切り抜いてファイリングしてる」と言うと、
なんとその写真のモデルさんが
この作家のネックレスをつけていた。

 

「えーっ!!」と店員さんと二人で大盛り上がり^^
もう大好きな感じのアクセサリーだらけ。

 


とにかく色にニュアンスがあって
しかもおもちゃっぽい感じがするのだ。
(さっきも書いた)

 


本当はピンキーリングを探しに来たのだが、
んもう面倒くさい!


「コレ下さい!」と購入してしまった。


それでまた、これを、
この作家さんがつくった小箱にいれてくれるのだ。
しかも全部ちがう手作りの小箱に。くー!

 

 


男性店員さんが包んでくれている間に、
他のアクセサリーをみていたら、
ハートのピアスとネックレスがあった。


あまりハートというモチーフが好きではないが、
そのハートはハートの形を崩してあって、
こう・・・針金に氷砂糖をまぶしたような感じ(うまく表現できない)


男性店員さんが私の買ったものを持ってきてくれた時に、
「ハートってあまり好きじゃないんだけど、このハートのかわいいねえ」
(もうタメ口口調)と言ったら、
エーッ!!と、さっきのファイリングブックを持ってきてくれた。

 

「これと同じの、このモデルさんもつけてるんですよー!」

 

なんと、さっき私もファイリングしてた写真のモデルさんが
今日、私が買った作家さんの作品と一緒に
同じハートのペンダントを重ねづけしていたのだ。


もう二人でびっくり、きゃー、きゃー。


こんなこともあるんだなあ。

 


可愛いものが大好きな男性店員さんと
ガールズトークみたいに楽しく買い物してしまった。


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| 風信子 | - | 23:16 | comments(13) | - |
泉に沈んだ小石のような恐怖



今回の東日本大震災で、
私自身が怖いと思うことは、
“私自身が東日本大震災を体験しなかった”ということだ。



私は東京に居て、
震度6弱の地震にあわなかった。


そして東京で震度6弱の地震が起こったときに、
周りがどういうパニック状況になるのかを体験できなかった。


大切な人はどういう状況になっているのか不安になることや
その人と連絡が取れなかった場合どういう心理的状況になるのか
その時、その場で感じられなかった。


帰宅難民となって、
家までの帰り道を歩くことも
途中で疲れてコンビニに入っても
何もない、ということも経験できなかった。
そしてそのコンビニに普通ではありえない数の人達が
いることを目の当たりにすることもなかった。


電車も止まり、バスもとまり、
駅もバス停も道路も人で溢れかえり、
そんな混乱の中で事実をつかむことが出来るのか
そのときの東京がどういう状況になっているのかということを
把握できるのか
そういうことも体験出来なかった。


こんなことを書くのは、
東日本大震災にあわれた多くの方々に対して
失礼なことなのかもしれない。



ただ私は、
今回の事を自分の身にひきよせた場合
今後30年の間に高い確率で起こるであろう、
関東大震災が起こったとき



そういう予備体験のようなもの無しに、
大地震にあう、ということを
とても恐怖に感じるのだ。



それはもちろん、
東京がそれほどの被害を受けずに済んだから
言えることなのだということは
充分、分かっているのだが。

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| 風信子 | - | 23:53 | comments(2) | - |
地震その後



東北を襲った大震災から、
もう2ヶ月が過ぎた。

私はこの日記を震災直後の様子から書こうとしている。
それは何故だろうと考えてみた。

自分自身の記録のため。
それはあるだろう。

前回の日記で私は“何かの枠の外に取り残された”
という風に書いた。

実際、私は東京でのあの日の地震には直面しなかった。
しかし、私も今回の震災の影響を受けた一人であったのだ。


地震が起きたのが3月11日。
広島でライブを観たのが3月12日
そして3月13日に東京へと戻ってきた。


戻ってくる新幹線の中では
もっぱら東京のウチの中の様子はどうなっているだろう
ということだった。



余り地震を体験したことのない同居人は、
棚という棚が全部倒れているのではないかと言う。


“地震が起きたらまずドアを開けろ”という、
関東地方で育った私は、
まあ、棚に載せてあるものが落ちたりはしているだろうが、
棚が倒れるまではいってないだろう、
と話していた。



そして家に着くと、
棚が倒れているということは無かった。
しかし棚の上に載せた写真立てや、
でかけるときにお茶をのんだときの急須は床に落ちて割れていた。



まあ、私と同居人の予想の真ん中という具合だった。



私はそのとき、とある中国茶を出す飲食店でホールの仕事をしていた。
店に重ねておいてある丼や、
中国茶を飲むためにディスプレイされている茶器類が落ちて、
お店の中は大変ではないかと思っていた。



次の日からは出勤だったので、
とりあえずお店に電話した。



すると、店長が出て、
出勤する時間帯や帰る時間に電車が動いていない可能性がある。
今週一杯は近所に住む、
元その店で働いていた人に手伝ってもらうことになったので、
とりあえず状況をみて、今週は休んで下さいと言われた。



たしかに電車は余震の関係などもあり、
電車が全く定刻どおりには動いていなかったり、
止まっていたりしていた。



その店はキッチンが一人、ホールが一人でまわしているお店なので、
電車が動かないから行けないなどという状況になると、
お店の営業が出来なくなってしまうので、
店長の言うとおりに、その週は休むことになった。



とりあえずご飯を食べなくてはいけないので
近所のスーパーへと買い物にでかけた。



すると今までは気づかなかったが、
スーパーは外からみるとほとんど真っ暗に近い状態だった。
今までが昼でも電気をつけて明るかったのだ。

店に入ると、ほとんど品物がない。
それも主にパスタやパスタに使うレトルト類、カップヌードルなどや、
こんなにみんな納豆が好きだったの?というくらい納豆は全くなし。
それに牛乳や卵、水の売り場がからっぽだった。

みんな不安感から買占めに走ったのだろう。


ウチは子どもがいないから大人二人どうにかできるが、
子どもがいる家庭では、やはり食料品がないとなると焦りもするだろう。



そのスーパーの隣には薬局があるのだが、
そこではトイレットペーパーやボックスティッシュが全く無い。
これには少し焦りを感じた。
ウチのトイレットペーパーもあと5ロールくらいしかなかったからだ。
私はウチが狭いせいもあって、
あまり買い置きということをしていなかった。



ためしにコンビニにいっても
お弁当やカップヌードル、飲み物の類はほとんどなかった。

それでもとりあえずその日の分の食べ物は買って
家に帰った。


家に帰ってもちょくちょく地震警戒警報がTVで発せられる。
これは案外緊張するものだ。
一人暮らしの人やご老人は不安も倍増されるだろう。

余りにも地震警戒警報が発せられるので、
地震がきても、そんなに大きくはならないだろうと
地震慣れしてしまうほど、余震の数は多かった。



今、2ヶ月が過ぎて、
現時点で地震警戒警報がTVで表示される時の方がドキドキする。




そして、私地震の身の上にも、
地震の確実な余波は起こったのだった。


JUGEMテーマ:日々徒然

| 風信子 | - | 20:18 | comments(4) | - |
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