
東北を襲った大震災から、
もう2ヶ月が過ぎた。
私はこの日記を震災直後の様子から書こうとしている。
それは何故だろうと考えてみた。
自分自身の記録のため。
それはあるだろう。
前回の日記で私は“何かの枠の外に取り残された”
という風に書いた。
実際、私は東京でのあの日の地震には直面しなかった。
しかし、私も今回の震災の影響を受けた一人であったのだ。
地震が起きたのが3月11日。
広島でライブを観たのが3月12日
そして3月13日に東京へと戻ってきた。
戻ってくる新幹線の中では
もっぱら東京のウチの中の様子はどうなっているだろう
ということだった。
余り地震を体験したことのない同居人は、
棚という棚が全部倒れているのではないかと言う。
“地震が起きたらまずドアを開けろ”という、
関東地方で育った私は、
まあ、棚に載せてあるものが落ちたりはしているだろうが、
棚が倒れるまではいってないだろう、
と話していた。
そして家に着くと、
棚が倒れているということは無かった。
しかし棚の上に載せた写真立てや、
でかけるときにお茶をのんだときの急須は床に落ちて割れていた。
まあ、私と同居人の予想の真ん中という具合だった。
私はそのとき、とある中国茶を出す飲食店でホールの仕事をしていた。
店に重ねておいてある丼や、
中国茶を飲むためにディスプレイされている茶器類が落ちて、
お店の中は大変ではないかと思っていた。
次の日からは出勤だったので、
とりあえずお店に電話した。
すると、店長が出て、
出勤する時間帯や帰る時間に電車が動いていない可能性がある。
今週一杯は近所に住む、
元その店で働いていた人に手伝ってもらうことになったので、
とりあえず状況をみて、今週は休んで下さいと言われた。
たしかに電車は余震の関係などもあり、
電車が全く定刻どおりには動いていなかったり、
止まっていたりしていた。
その店はキッチンが一人、ホールが一人でまわしているお店なので、
電車が動かないから行けないなどという状況になると、
お店の営業が出来なくなってしまうので、
店長の言うとおりに、その週は休むことになった。
とりあえずご飯を食べなくてはいけないので
近所のスーパーへと買い物にでかけた。
すると今までは気づかなかったが、
スーパーは外からみるとほとんど真っ暗に近い状態だった。
今までが昼でも電気をつけて明るかったのだ。
店に入ると、ほとんど品物がない。
それも主にパスタやパスタに使うレトルト類、カップヌードルなどや、
こんなにみんな納豆が好きだったの?というくらい納豆は全くなし。
それに牛乳や卵、水の売り場がからっぽだった。
みんな不安感から買占めに走ったのだろう。
ウチは子どもがいないから大人二人どうにかできるが、
子どもがいる家庭では、やはり食料品がないとなると焦りもするだろう。
そのスーパーの隣には薬局があるのだが、
そこではトイレットペーパーやボックスティッシュが全く無い。
これには少し焦りを感じた。
ウチのトイレットペーパーもあと5ロールくらいしかなかったからだ。
私はウチが狭いせいもあって、
あまり買い置きということをしていなかった。
ためしにコンビニにいっても
お弁当やカップヌードル、飲み物の類はほとんどなかった。
それでもとりあえずその日の分の食べ物は買って
家に帰った。
家に帰ってもちょくちょく地震警戒警報がTVで発せられる。
これは案外緊張するものだ。
一人暮らしの人やご老人は不安も倍増されるだろう。
余りにも地震警戒警報が発せられるので、
地震がきても、そんなに大きくはならないだろうと
地震慣れしてしまうほど、余震の数は多かった。
今、2ヶ月が過ぎて、
現時点で地震警戒警報がTVで表示される時の方がドキドキする。
そして、私地震の身の上にも、
地震の確実な余波は起こったのだった。
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